「重い女」から「愛され女性」へ

「依存」から抜け出して「自分軸」を持った生き方に変わればあなたの心は満たされる

「与える愛」と「尽くす愛」の違いについて

みなさん、こんにちは!
「愛され女性」育成トレーナーの下辻 恵です。

 

今日は「与える愛」と「尽くす愛」の違いについてお話をします。

 

 

「与える愛」は究極の愛

 

まずこの「与える」って究極の愛だと私は思っております。

そして「愛され女性」になるためには「与える」ことを覚える必要があります。

 

なぜなら自分から「与える」ことによって「愛される」ようになるからです。

ですが「重い女」の場合「与える」よりも「見返り」を求めることが多いです。

 

でも「与える」って「尽くす」のと同じだよね?だから私は彼にたくさん愛を与えているはずなんだけど、全然愛されない!

と「重い女」だった時の私はこう思っておりました。

 

まぁ「尽くす」って、自分の身を削ってでも彼に何かをしてあげたい。って気持ちなので「与える」と言えば与えると呼べるのかもしれません。

 

ですが「与える」と「尽くす」って根本が全然違うんですよ。

 

与える=余裕 尽くす=無いものを絞り出す

 

そうだな〜

一番分かりやすいのは「与える」=「余っているもの」「尽くす」=「無いものを絞り出す」って感じかな?

 

例えばだけど、あなたが畑を耕し作物を作っているとします。

 

畑の土はふかふかで栄養満点。日差しも燦々と照り付け水分も十分に潤っています。

どの作物も順調に育っていて、あなた一人で食べるには多すぎるほど実っています。

 

そこで食べきれない作物を周りの人に「もしよければどうぞ」と配ります。これが「与える」です。

 

一方、畑の土はガサガサで石ころやゴミまで埋もれている。天候にも恵まれず栄養もない土では思うように作物が育ちません。実ったとしても自分一人のお腹を満たせないほどの量しかない。

 

でも自分の空腹は我慢してでも少ない作物を人に押し付ける。これが「尽くす」です。

 

心が満たされている or 満たされていない

 

畑と作物で例えましたが、これは心が「満たされている」か「満たされていない」かの違いです。

 

自分の心が満たされていれば、人に愛を分け与えるのは苦痛でもなんでもなく自然と行うことができるし「お返し」なんてものは求めません。自分が「好き」でやっていることですからお気になさらず。という心持ちでいます。

 

一方、自分の心が満たされていない場合、人に分け与えるのは苦痛でしかなくむしろ「お返し」に期待をしているくらいです。なので苦痛に見合うものが返ってこなければ腹も立ちますし、責める気持ちも湧いてきます。

 

ね、同じように見えて根本は全く違いますよね。

 

そしてあなたの立場だったらどちらが欲しいでしょう?

 

「余っているから持って行っちゃって〜」と気軽に声をかけられる場合と「苦労してできたものなんです。大切にしてください」と押し付けられるのでは、前者の方が受け取りやすく、後者の方は断りたくなりますよね(^_^;)

 

っていうか後者を受けっとたら『え?何か返さないといけないのかな?困る、面倒くさい。っていうか怖い』と思うのではないでしょうか?

 

これが「重い女」が振られる大きな理由なんですよね。

 

でも気軽にもらえた時は自然と感謝の気持ちが湧いてくるし『そうだ、この間もらったから何か私も返したい!』と自発的に何かをしたくなります。そうしてお返しを渡した時に『うわーありがとう!』と素直に喜んで受け取ってくれたらこっちまで嬉しい気持ちになってまた何かをしたくなる。

 

こうして「愛の循環」ができあがるのです。

 

「与える」は気軽なもの

 

なんだか「与える」って仰々しく感じるかもしれませんがでもそんなことはなく、もっと気軽な感じなんです。

 

でもね「尽くす」って、先ほどはあえて表現しましたが「押し付け」なんですよね。

 

『ねえ?要るよね?要らないなんて言わないよね?』と、こちらが望んだわけでもないのにグイグイと迫ってくるし、仕方なく受け取ったら『ありがとうは?』と無言のプレッシャーをかけてくる。その圧に耐えきれなくなってそっと離れようとすると『あんなに尽くしたのに酷い!』と泣き喚かれる。

 

私が「重い女」の時は本当に必死で何がいけないのか分からなかったけど、でも逆の立場になると「うわぁ〜」と引いてしまう自分がいます(^_^;)

 

なのであなたが「愛され女性」になりたいのであれば「尽くす愛」からは卒業し「与える愛」を覚えることです。

 

自分の心を満たす

 

そのためにはあなたの心を満たす(畑を豊かにする)必要があります。

それは誰かから満たしてもらうのではなく「自分で」満たすのです。

 

あなたの畑を耕すことができるのはあなたしかいません。

 

なぜならその畑と一生付き合わないといけないのは自分だし、何より畑をどうするのか選択できるのは自分しかいないからです。

 

でも選択を他人に委ね、自分の畑を他人に任せるのはとても不安定です。

 

もし一生懸命あなたのために畑を豊かにしようと耕してくれたとしても、その人がいなくなってしまえば畑はすぐに荒れ放題になってしまいます。

 

それだとその人に「依存」することになりますし、いなくなるのは恐怖だし、そもそもこの畑は一体誰のものなの?となります。

 

「他人軸」でいるのって『私の畑を代わりにあなたが耕してください』とお願いしているのと一緒なのです。

 

それだと他者が畑を耕してくれない限り荒れ放題だし豊かになることはありません。

だけど「自分軸」を持って自分の畑に時間と手間を掛ければかけるほど豊かになっていきます。

 

どうでしょう?あなたはどんな畑にしたいですか?(^ ^)

 

 

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